(大震災)大阪疎開から帰京

(備忘のため、後日回想記載)

都内では、ミネラル水不足(1歳以下の乳幼児でも入手困難なくらい)、納豆やヨーグルトが買えない事態が発生。そのあおりを受けて、大阪でも大量購入は制限(一人一本までとか、)されていた。しかし、準備も万全ではない、旅行気分でもない、かといって、この地でやらなければならない仕事もさほどない、外食続きで先がみえないホテル滞在ライフにも相当疲れてきた。およそ10日間の大阪疎開に終止符をうち、東京自宅へ戻ることにした。

3月の19日~21日の3連休で、卒業式シーズンや桜などでもともと混雑している大阪に、大震災避難・疎開企業組などで、大阪もなんだかキャパオーバーに。ホテル予約がまず取れないという事態。そんなこんなで、何かと不便が続き、わがままも言えない状況に、正直疲れたのよね。自分のベッドで、寝たい。ただ、それだけだった。特に、お腹がかなり大きくなってきた今、いわゆるビジネスホテルの堅いベッドがあわないあわない。愛用している抱き枕がむしょうに恋しくなって、というか必要になって、帰るのを決めたといっても過言ではない。

妊娠してなければ、許可されていた海外オフィスでの勤務やら、旦那のいるNYオフィスでにも、すぐさま飛んでいったんだけどね。さすがに、この状況で戻れなくなったら滞在ビザ的にもリスク的にも困るし、現地出産なんてことになったら費用やら保険やらで困るしね。ま、まだ東京が普通に生活している以上、東京で自分のペースで過ごそうときめた。

旦那はNYへまた一時帰国。最終的にNY滞在を終了・アパート引き払いなどをするための準備のためだ。なんともあわただしい2週間。この先どうなるんだろう、でもどうにかなるかな・・・など、不安と懸念の絶えない日々だった。

by mikisnet | 2011-03-26 22:32 | ひとりごと  

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